hilowmy’s diary

のんびり日常の事。Twitter:hilowmy_ , Instagram:763_ , hilowmy , note:763 国内最大手の化学メーカーが作る先端素材を用いた清純水製造装置のプロモーションなどを、大手企業と組んでます。

多様性なんて、本当に認めてないよな

専業主婦と終身雇用は、男を会社に縛り付ける為の手段だと思うよ。
仕事も家庭も、夫婦で分担したほうが効率は悪くなる。
だから、片方をそれぞれに縛り付けて。
でも、効率は悪くなっても冗長性が増すから、
トラブルとかいろんなケースに対する自由度は上がる。
奥さんが働くなら、奥さんが無理をするか、
旦那さんが仕事第一って姿勢を変えないと。

でも、世の中は専業主婦を推奨する社会の仕組みだ。
所得税も、年金も、保険も。
専業主婦を前提とした家庭から外れると、途端に色々と面倒になる。
家庭のことを社会で助けよう、って風潮がない。
手を借りると人間性まで否定されちゃう。
子供とか、親の面倒を社会に手伝ってもらうと。
文句いう奴に限って、何もしないしな。

そりゃそうだ。

身に降りかかったり、間近で見れば、
必要なことがわかるから、文句なんて言わない。
母子(父子)家庭だ病気だなんだかんだ。
間近で、或いは体験しないとわからない。

育児にしても然り。
親は辞められ無いのに親を辞めろと迫ったりね。
辞めろと言うか、親の責務を放棄して働けとか。
今どきは男性も育児休暇を、と巷では囃し立ててはいるが、
大企業だとか特殊(?)な所だけ。
もちろん働く女性にしても然り。
いざ育児休暇を取ると…。
辞めろなどの類は暗黙に言うか、はっきり言うかの差だろうけど…。

定年前の自己都合退職で退職金が100%出ることが保証されている事例が一つだけあったのよね。
それは女性の寿退社。
それを意味する所は…。
今は変わったかもしれないけれど。
少しずつでも、変わって来ると良いのだけどね。
まあ、そういう声が出て来たことや、
ニーズが増えてきたこと自体が、変わる為の一歩と思いたい。
母子家庭なんて、
例えば旦那さんが事故で亡くなったらあり得るぜ?父子家庭にしても然り。
世の中に無関心なら、また100年は遅れる。

ユニバーサルデザイン
障害者とか、社会弱者が暮らしやすい世の中は、
普通の人にとっても過ごしやすいはずなのよ。
今は健康でも、家庭も体も何事も無くても。
たとえば、怪我で松葉杖とかさ。
車椅子とかあり得るし。
明日事故などで麻痺などを起こし不自由になるかもしれない。
脳に後遺症が残って高次機能障害が出るかも。
そんなのを全部、家庭に押し込むの?むりむり。
家族が完全に放棄する事はできないだろうけど。
(放棄しちゃっている所は一先ず別の話しなので置いといて)
サポートは絶対に必要だ。
ある程度の金銭、専門家の助言、カウンセリング、そして対応するスキルの伝授。
社会智で支えられる事は有ると思う。

アレルギーとかそうさ。
除去食とか、いろんな工夫とか。
食材、調理法…情報で助けられた事は多い。
その体制はここ数年の話だ。
教師によっては、好き嫌いと区別がつかない人もいた。
親でも。
今はだいぶ違ってきた。
これこそ社会智で支えられている事の一例だ。

とにかく、決められた型から外れるとそれだけで大変になる。
この国は。
みんな、息が詰まるだろうに。
多様性なんて、本当に認めてないよなあって思う。
かといって私には摩擦を起こす程のパワーは無い。
それに摩擦を起す勇気もないので、たんたんと私は私を演じている。
てか、人は自分と違うのが許せないのよね。
だから、色々と理由をつけて。
偏狭だなあって思っちゃう。
ほんと多様性なんて認めてないよ。

あら。
ね、私って人間に絶望しているでしょ?(笑)
多様性の廃棄は、民主主義の圧殺。
看過してはいけない。
今の日本の制度や、憲法を護るならね。
さて。
どこまで覚悟ができているか。
あっちもこっちも。
あなたも、私も。

「甘え」と「甘やかし」

いま目下の悩みは「甘え」と「甘やかし」
その違いについての言語化。
我が子や部下の教育で悩む所はそこ。

人の気持ちを自分が判断して自分で結論は出すのは良くない。
相手からしたら「聞けよ!」になる。
かと言って1から10まで聞いていたら「空気を読め」になる。
じゃあどうしろって言えば「察しろ」

理不尽な世の中だ。
一番、空気が読めない私なのに(汗)

人に甘えるのは良いよ。
自分に甘えるのは程々に。

人に甘えるな、空気を読め察しろと「強要」しだすと、
言う本人こそに「俺の言う事を聞け」と言う甘えが出ている。

答えが見つからないけれど、
盛大に人に甘えるといい。
世界に世間に人に。
駄目な時は駄目と言うだろう。
多分。

知らんけど(笑)
2015/10/23

普通おばけ

普通って魔物。日本って、違いに対してすごく不寛容なんだよね。あ、そう。あなたはそうなの。…って済ませば良いことを、間違ってるとか正しくないとか。糾弾して是正しようとする。大きなお世話なのに。そういうことが、あるような気がする。

正しい、間違っているが、「常識」なんて曖昧なものを基準にされたら、たまらないよね。戒律とか、なにかハッキリしたモノが基準なら、まだ何と戦えばいいかわかるけどさ。

変えることには、どうしても摩擦がつきもの。だから「改革」には、トップの決断とか、リーダーシップが不可欠なのね。どんな立場で、何をしようとしていたかわからないけどさ。勇み足だったのを疎まれたんだろうね。

しかも、言っていることが正しければ正しい程、憎まれる。彼らは自分たちを正当化したいから。あいつは言っていることと思っていることが違うと信じたい。事実を、彼らの都合の良いように解釈するのさ。

多様性。都合よく使われてる言葉の一つだよね。多様性認めてるのに、KYはおかしいだろ。障害も然り。だからさ。あの言葉って、人を認める言葉じゃなくて自分を弁護するのに使われてるよね。障害は、また別よ。別のはずなのに、多様性として含まれるのよね。そのくせ排除される。

人と同じじゃないといけない、っていう強迫観念がこの国は強すぎる印象。そして、理解出来ないものは排除するんだよね。理解出来ないんだから、理解する努力をするか、理解できるようになるまで判断停止すればいいのに。

とりあえずそのままの形で受け入れればいいのに。異質なもの理解し難いものを排除するとかえって社会の冗長性が失われて、ますます窮屈になっていく。しかも理解しようとする基準、モノサシがよくわからない「常識」ってやつだ。自分が理解出来ないことが世の中には溢れている。

放課後等デイサービス・児童発達支援(見学)

デイには良い所と悪い所、色々あるから…と聞いてもいたので、ハラハラしながら区役所の方にご案内いただいた中の3ヶ所の内1カ所を見学してきました。

1ヶ所は電話確認すると今期の受付終了でした。

もう1ヶ所は紙媒体で頂いた空気的に一旦保留。

 

送迎サービス、学校までお迎えに来て頂きデイ見学。

「こんにちは」と挨拶して室内へ。

 

なんと言うか、いつも外だと知らない誰かと話をする時。慣れない人と話をする時。能面の様な表情で首をクイっとあげ、て興味の無さそうな対応をする息子が利用者さんたちとすんなり話をしているではないか。笑ってるじゃないか。一緒に作業してじゃないか。なんなの、なんなの??と私がビックリしてしまった。

スクールカウンセラーに表情模写の為に鏡を見て楽しい嬉しい悲しいと言う表情トレーニングが必要かもと言われてた息子が、見学初日数分で笑っていた。

www.zaikei.co.jp

おかーさんびっくりだよ。

デイの方いわく「見ている方向が同じだから直ぐに慣れたのかもしれないですね」と。なるほど、確かに。似たもの同士、話も合う現象ですね。

 

私自身、デイケアーや介護ヘルパーを利用させて頂いている・いた経験もあるので部屋の感覚的に「ああ、ここはいいな・・・」と感じました。

とりあえず、今日は見学の感想の記録。

 

来週は息子1人でデイ参加。

区役所の方で手続きを進めていこう。

自己理想と自己懸念

「こうでありたいという」自己理想。

「いまの自分はこうである」と言う自己懸念とのギャップ。

自己理想は在りたい自分に向かう向上心の為に必要だけれど、その影で現状の自己像に対して自己懸念を生む事もある。2〜30代の方は顕著に意識する世代だと聞く。確かに私自身そのピークの時期で壁にぶつかっては頭を抱える事が多い。

人は何かしらにおいて肯定される事で自己肯定=自信に繋がる。

切っ掛けは誰かの言葉か、音楽か、成績か、数字か。立ち位置などによって自己肯定の見つけ方は違うだろうけれど。自己理想と自己疑念の乖離を埋めていく作業。

それが自己肯定なのでしょうか。

「今日は思う通りにできなかった。明日は試行錯誤してこんな事をやってみよう。やった、できた、自分を褒めよう。あれ次の日は出来ないぞ。」

ああ、人生は諸行無業ですね。

 

2015/10/26

自分は、常に変えないと。

自分は、常に変えないと。

止まったら、澱む。

そして精神の緩慢な死。

周りを責めて拒んでいる時の方が、周りに依存している。

むしろ、赦して受け入れた方が自立している。

自立しているとは、孤独を受け入れている。

いい意味で。

今の自分はその時々の自分の在り方の結果。

大部分はね。解を人に委ねては駄目。

任せては駄目。

でも、頼ってもいいんだ。

何をしたらいいかわからないから「足掻く」んだ。

わかってたら「足掻く」ではない。

委ねちゃだめ。

任せちゃだめ。

でも、頼っていい。

 

2015/10/23

未来は今の積み重ね。

安定した日常の大いなる繰り返しの中は、居心地がいい。
悲しいかな私には「安定した日常」と言う綱がまだとても細い。
だから、生きていくこと自体が辛い。
でも、その分しっかりと未来を意識して生きているんだと思う。

今を疎かにしてはいけないんだ。

昨日と違うことをする。
知人や友人に相談する。
日常生活を行っていく。
ご飯を食べ風呂に入る。

「簡単な」事が心理エネルギーが切れてると、心がすり減って出来なくなる。
昨日と違うこと。
いつもと違うこと。
これをするって、心がすり減っていると結構ハードル高い。
今は少しは出来るようになってきた。

私はしぶとく、生きている。
これは自分の傍に居てくれた、たくさんの人に生かされていた。
生きろって背中を押され。
私は生かされています。

たまたま「あの日」「あの時」「あの選択」をしたから今の私がある。
10代20代の時は自分が苦しいのは親のせい、環境のせい、誰かのせいって自分の足元を見ては、後ばかりを見ては、嘆いてた。でもそれってただの思春期を拗らせた世間知らずな子供。

自分の選んだ選択の結果には責任を持って、苦しい事があっても足掻いて、生きていくって決めた時から私の世界はきっと回り始めた。

いつでも「変わる」という事には痛みが伴う。
その痛みは本当に必要だったのかと悩む事もある。
けれど、私は信じてる。
変わらずに朽ちて行くよりは、変化を求めて傷つく方が絶対にいい。

辛いことも、楽しいことも、どっちもきっとやってくる。生きていれば。
なら、辛いことをやり過ごし、楽しことを楽しめる様になりたい。

未来がどうなるかなんて分からない。
もしかしたら「あの日の選択」は間違っていたのかもしれないと、頭を掻きむしるかもしれない。
それでも仕方ないなって頭を掻きむしるだけ掻きむしって笑って行こうと思う。

回り道とか寄り道とか言うけれど。
人生にはそんなもの、多分無い。
起きたこと全てが今の自分の元なんだ。

色々な選択肢と言う道を閉ざすのではなく、広げる為に日々たくさん笑いながら足掻いて生きて行きたい。

今を疎かにしてはいけない。
未来は今の積み重ねなんだ。

一歩、また一歩 素敵な未来へ

育児は育自2016

2010-03-21:育児は育自

2013-04-05:育児は育自

ログを見返すと、なんと言いましょうか。

お疲れ様私。これからも頑張れよ、私。

 

結婚→離婚→再婚→離婚→お母さん稼ぐぞ!と意気込んで子供を預けて単身赴任。4ヶ月ホームレスを経験し一人暮らし。単身赴任をはじめて約4年目、親が養育費を使い込んでいた事が発覚→子供を連れて実家から夜逃げ。

脱出劇からの、1K単身者アパートからの今の家に引越し。

やっと子供たちと親子三人で暮らしている。

そうこうしている内にまた頭を抱える事がたくさん。

 

高校受験、そして子への投資。

息子の自閉症スペクトラム(ASD)

 

そうそう、娘の甲殻類アレルギーに頭を抱えた。

息子の卵・乳・小麦・大豆・豚肉・牛肉アレルギー(克服)に頭を抱えた。加えて喘息コントロールに現在進行形でのんびり頭を抱えてる。

 

私は私で学習障害からの二次障害。精神障害手帳1級と言えば察して頂けるだろうか。中卒・底辺貧困者・非正規雇用。不安定な仕事しか出来ない。

先日もメインの職場を突然クビになりました。

(しかし、不死鳥のように復活。昇格し蘇る事が確定)

 布団の中で麦焼酎抱えて穏やかに私は暮らしたいのだけれど。

・・・まて、それはただのアル中引きこもりじゃないか。

置いておいて。普通と言われる様な淡々とした生活に憧れる。

 

本当に、いろいろありました。

スタート地点にやっと立てたようです。

と、いう事はこれからいろいろと日々課題があるのでしょう。

きっとありますよね。無い方がおかしい(笑)

 

いま、毎日ご飯を子供たちに作れる事が嬉しい。

ママのご飯は美味しいって言われるのが嬉しい。

今日の味付け濃いとか、失敗してる手抜きって言われる事すら嬉しい。

喧嘩もする。叱る事もある。怒る事も怒鳴る事もある。

子育ては、教育は本当に大変だ。

掃除洗濯料理も教えないといけない。

そもそも論、家事は炊事以外苦手なのに教えるだなんて。

目眩がするけれど、嬉しい。

 

この先どうなって行くのか、ふと不安になって辛くて冷蔵庫にもたれ掛かって夜中に焼酎を抱えて泣く日々もある。私が世帯主。全て自分で決めていかなくてはいけない。自由と言う名の不自由。プレッシャーに押しつぶされそうだ。毎日の口癖は消えたい。それから働きたく無いけど働きたい。

育児を通して自分を育ててきた。ここまで良く足掻いてきたものだと感心する。私一人の力では無理だった。たくさんの方々に支えて頂いている。感謝の日々。ありがとう。ありがとう。本当にありがとう。

この先どんな道があるかわから無いけれど、穏やかに。

 

君の好きなスピートで。僕のテンポで・・・ってね。

 

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 


君のスピードで  吉田拓郎

 

高校受験、そして子への投資。

娘のLINEの時間は減り、子供達の健全な?社交場である公園で遊ぶ率も減りました。

個別指導塾に通っているので週二日の通常時間のみだけではなく毎日、自習教室に行くようになりました。

帰ってからも、身支度や見たいドラマに合わせて勉強をしています。二学期は一学期と比べ学習などの発表の場に、テスト三昧。


みんなやる気オーラが出まくり!彼女も毎日毎日、必死に多分きっと頑張っています。がんばっているよね?頑張れ!信じてる!応援するよ!

・・・だから、あれだけ!夏休みに集中しろって言ったじゃん!地区祭りに友達と早朝ランニング、部活動に社交場での遊びにガールズトークばかりに力を入れんなって言ったじゃん!

程度を考えてスケジュール調整して寝る時間と勉強する時間、遊ぶ時間割り振れと言ったじゃん!「青春はいまだけなんやから!!」と熱弁し「塾にちゃんと行ってるから勉強できてるし!」

現実は・・・。

二学期の実力テストなどの点数が自分の想像以上に低くて「夏休みもっと勉強すればよかったわ」って!!いまさら言ってんじゃないよ!オカンはギャン泣きだよ!数学の相似ってなんなの!数学で掃除でもするのか。(錯乱中)勉強したつもりになっていただけですよね、それ。わかってます?

 

ニュースなどでご存知の方は多いと思いますが。2016年度の大阪府立高校入試は中学校の内申書の評価成績を現在の「相対性評価」から「実力評価」に切り替わります。受験とは個の実力。私は実力評価に対しては異論はない。ただ、当事者として考える時間があまりにも足りなかった。薄々告知はされていたが正確な情報は手に入らなかった。

 

情報収集不足だと失笑して下さってもいい。しかし、現実的にどういう内容を採用されるかなど学校と言う現場に届かない事もあった。ひどい時には新聞記事で今朝知ったと言われる先生もいた。校長先生、進路指導の先生、塾の塾長たちはひたすら情報収集に汗を流した。

 

別記事で書こうと思いますが制度など「変化」が伴う時は何かしらの苦痛は避けて通れません。これは必然です。なぜ自分の代だけと憤慨したくもなります。変わりたいなら、声を上げなくてはいけない。

逆も然りだ。変わりたくないなら変わりたくないと声をあげなくてはならない。変化を望むなら、厭うなら〝適切な場所で〟〝与えられた権利の中で〟声をあげなくてはならない。

時には自分の手の届かない所で変わって行く事象もある。それらに対して受け入れるなら、受け入れられないなら、変化に合わせ上手く対応していかなくてはならない。

世知辛くても。さらっと書きましたが簡単では無い。辛いものです。私は出来るだけ変わりたく無い人間ですから。矛盾の中で生きている。

校長先生も、進路指導の先生も学校全体も手を打ってくださるが、例年通りの手法が使えない。先生方の実力が前年より問われる。しかし、先生も人間だ。疲れだって出る。

 

先生が使える時間は物理的に限られている。部活やら生徒指導やら、訳のわかなない何かとか。ブラック企業だと思う。

どう見てもブラック企業確定なのに周りがそれを許さない。教師、なんだからと言って。先生方いつもお疲れさまです。

怒涛の現場で一部の子供達は疲弊し実力テストと言う団体競技を受けない子もいたそうだ。大阪府の実力テストなどについて詳しい事が気になる方は個々でお調べ下さい。私には返答は難しいので。

 

正直この情報戦について行ける気がしなかった。私には無理だと早々に判断したのです。

学校の教育だけではなく、彼女に塾でもしっかり学んで貰うことにした。

しかし、血反吐を吐きそうな金額ですね、塾。

私は低所得者です。そんな貧困層な私が子を塾に入れ、しかも個別塾とか正気の沙汰ではない。塾代は月に*円の支払い。

それが無ければほぼ毎晩外食か栄養バランス完璧な食事を提供した事でしょう。先生の指導には感謝していますが、私の娘は自分で胸を張る程の馬鹿です。

「私、塾に行かんかったら絶対、勉強してへんわ。馬鹿やから遊んでた。」と言っておられます、はい。

それでも、勉強をする環境をなぜ彼女に与えたのか。理由は簡単です。

彼女へ投資する事は、未来の社会福祉に還元するためだと私は思っています。彼女がそれなりに社会で笑って生きていき、納税をする。今の投資は彼女と未来の社会のためです。彼女はそんな大それた事は考えていません。

可愛い制服が着たいな。共学の方が彼氏できるかな?校則厳しすぎる所は嫌だけど派手すぎなのは嫌だな、将来は**になりたいな、など高校生活に向けてキラキラしています。彼女はそれでいいのです。

今は贅沢は出来ないけれど大人になった時に、自分で贅沢をしてください。その為の手助けをしています。親として。

 

将来、上手い寿司を食わせてくださいませ、娘よ。頼む。

2010-03-21:育児は育自

育児に余裕があるねって言われると素直に嬉しいけど。私もさ。娘の時は何にもわかんなくて。そりゃそうだよ。産んで初めてお母さんスタートだもの。娘が生後7日で、私はお母さん7日目。

マニュアル(育児書)なんて大嘘。

夜泣きがキつくて、叩きそうになる右手を噛んで。血が滲む位、泣きながら噛んで。親の協力はそれなりにはあったけど、当時は前夫と家を借りて実家の近所で住んでたから。里帰りみたいな感じじゃなかった。モロ夜泣きでくたばって。でも、昼間は仕事だから体がしんどくても仕事はしなくちゃいけなくて。娘を背負いながら仕事して、家事して。寝る時間が無くて、くたくたで。前夫の協力は無くて。喧嘩して、殴られて、隣で夜泣き。

背負って町内一周して、やっと寝たと思って布団に置いたら激泣きで、また背負って夜な夜な町内一周。部屋の中だと前夫が怒鳴るし、前夫が睡眠不足だと翌日ネチネチ言われたしね。

今思えば、私のイライラが娘に移っていたんだろうな。子供って親の感情を、自分の感情をとして表現するらしいし。あの時は、育児が楽しくなかった。子育てがわからない。何で泣いているのかわからない。色んな人が、手助けしてくれているであろうその手をつかめない。色々あって、どうしようも無くて。

娘の顔が見れなくなって。

正直、何で産んだんだろうとか。周りに言われた通り、堕胎すれば良かったとか。本気でその時は考えてしまった。でもいつの頃か。娘の目が見れるようになったのよ。娘にちゃんと、愛してるって言える様になったの。あれは、多分。喃語の反復が始まった頃からだったと思う。喃語で返事を返してくれて、人の言葉になればなるほど、可愛さが増した。娘を抱えて電車に飛び込もうかとか考えたりもしたけど、踏みとどまって良かったよ。前フリが長くなったけど。娘に突然「ありがとう」って言われた。いつもの様に「んー?何ね?」って返事したらさ。

「産んでくれてありがとう」

なんか、学校の授業で性教育の話があったらしいのさ。その流れでの言葉。もう、涙を堪えるのが大変だった。本人としたら何の意図も無かったと思うよ。学校で習ってきての延長線だったんだろうよ。授業で「お父さん、お母さんに感謝しましょう」とかの〆だったろう。(自分の時はそうだったし)はい、照れ隠ししてます。・・・何にせよ。産んで良かった。いろいろ思いとどまって良かった。生きてて良かった。

息子の時は黄昏泣きのヒドイ子だったけど。慣れも手助けしてくれたかな。でも、何だかんだ言ってもお母さん歴はまだ9年です。まだまだ、です。

育自、真っ最中。