hilowmy’s diary

のんびり日常の事。Twitter:hilowmy_ , Instagram:763_ , hilowmy , note:763 国内最大手の化学メーカーが作る先端素材を用いた清純水製造装置のプロモーションなどを、大手企業と組んでます。

声かけ写真展に行って、観た感想

【追加:2022/06/18】

有志の方が分かりやすいまとめサイトを制作されました。PDF配布もあります。是非、ご覧になって下さい。

https://sites.google.com/view/koekakephoto-matome/homef:id:hilowmy:20220622033539j:image【追加:2022/06/14】

前のエントリーで開催場所に行き着くまでの顛末を書きました。

主催者は、「見もせず批判をする人たちが多い」と、何度も何度も言っていました。
私も、その通りだと思います。
なので、入場料を払って見てきました。
主催者の方からたくさん話を伺うことができましたが、私は一切批判はしていませんし、ましてや妨害行為まがいのこともしていません。
一般客としてお金を払い、写真を観て、気になったところを伺ってきた。 それだけです。
ここではじめて、写真展を観た感想と、考えたことを書きます。

まずは、感想から。
主催者は、「銀塩プリントには手を抜かないようにしています。デジタルでも銀塩プリントに拘っている」とおっしゃっていました。
たしかに、印刷には拘っていたと思うし、印刷する解像度もかなり高いな、と素直に思いました。
銀塩写真銀塩プリント)とは

また私が見た限りでは、過去の開催時にあったと言われる「女児の下着が見える写真」はありせんでした。
もちろん、ネットで言われているような「写真の物販」も、私が見る限りではありませんでした。
ただ、写真展を観て私の心に浮かんだ感想を正直に書けば、「親戚が撮った子どもらのスナップ写真」でした。

写真(というか、アート)をよく見られる方々であればわかっていただけると思います。
私もよく写真展に行ってプロの方々が撮られた写真を見るのですが、ハッと鬼気迫るものを感じることがよくあります。
「プロの写真家」と言われる方々はそれこそ命を削るように写真を撮っていきます。
この写真展では、どうしてもそのような迫りくる「何か」を感じることができませんでした。
もちろん、数少ない例外はあります。数は少ないながら、 ハッとする写真もありました。
でも、大多数は素人が撮った写真、たとえるなら「親戚の家で見せられた親族の古い写真」、そんなイメージです。
親戚が撮った子供の運動会や、学校の写真サークルのノリとおもわしき写真があるだけでした。
そして年代が下るほど、目線がレンズにない写真や望遠レンズで狙ったような写真が増えてきました。

テーマ性もなく雑駁に集められた写真(ほとんどは女児)。 気遣われることなく展示されている写真。
展示されている写真も、丁寧に管理されずに使い回されているようにしかみえませんでした。
残念ながら、私には主催者が主張する「あの頃はよかった」は、写真を見ても伝わってきませんでした。

ここからは、考えたことを書き留めます。
言いたいことがまとまるとは思えませんので、単なる戯言と思ってください。

不思議に思ったのは、声をかけた相手がほぼ女児ばかりということです。
説明をしてくださった方は、アラーキー荒木経惟)の「さっちん」という写真集を「声掛け写真展のルーツ」のように語っておられました。
ん?さっちんは、男の子ですよね? なんで魅力的な「悪ガキ」の写真がないの?
女の子を尊い思う人がたくさんいるように、悪ガキにノスタルジーと共感を持つ人もたくさんいると思います。
「声掛け写真展」のコンセプトからは、被写体をほぼ女児に限定する意図が分かりませんでした。

主催者によると、「30年前にあったひとつの写真文化」として、「声掛け」があったのだそうです。
私が調べた限りでは、このような主張は主催者の方だけがされています。
ぜひ、このような「写真文化」があったことを示す文献を教えていただきたいと思います。

「写真の販売はいろんなところで、怒られるので販売は今回はしていないんですよ。怒られないように、怒られないようにやっている」とも言っていました。
なぜ?と問いたい。
自分が行うアートの表現の自由を蹂躙されていると考えるなら、なぜそれに対して怒らないんだろう?
アートが世の中の「常識」と軋轢を生むなんてことは、よくあることです。
最近では市民権を得ているようですが、「アニメ」はその最たるものでした。
自分が何かを信じて、そのために行動する(=写真展を開催する)なら、あなたの正義を貫けばいいと思います。
しかし、聞く言葉は「なんか、やっぱりだめなんですよねー」という言葉ばかりです。
あなた達は被害者なのですか?

信念をもって、自らの作品を発表しようとする。 しかし、その表現が認められない。
そのとき、あなた達が思う感情は「被害者」としての感情なのですか?

写真展を開催するたびに、開催場所が減っていくと主催者から聞きました。
それは、何故なのでしょうか。
あなた達を妨害する「敵」のせいでしょうか?
テーマ性も乏しく、被写体や作品本体に対する愛も伝わらない、そんな”会”だから、などというオチにはならないことを祈ります。

今回の写真展は、4回目と聞きました。
回を重ねる毎に理解者が増え、開催者たちも場慣れするのでより充実していく、という話はよく聞きます。
もっとも成功している例は、あの「コミックマーケットコミケ)」だと思います。
しかし、この写真展に関しては過去の開催から何かを学んだのでしょうか?
最後には、オープンな形での告知もできなくなってしまいました。
やっと、「開催した」と言う体裁を急ぎ整えたようにしか、私には見えませんでした。

これは提案です。
違法性がなく真っ当な写真展であると胸を張って言えるなら、自分たちは表現行為が妨害をされていることを、逆に警察に相談すればよいのではありませんか?


この写真展では、面識のない大人の男性が、保護者の同意なく本人(多くは女児)の了解のみにて撮影をする事に対する批判を目にします。


弁護士なり警察なり、こういったことに詳しい専門家に相談すれば、すっきりすることも多いのではないでしょうか。
私は、自分で考えてもわかりませんので、府警に聞きに行きました。 一部まとめられていますので、ご存じの方も多いと思います。
基本的に、警察は民事不介入の立場ですので、実際にトラブルが起きない限り介入することはないそうです。
ただ、かなり「懸念」をしめし、成り行きを注視していることはおっしゃっていました。

「反対派」を自認する皆さまにもお願いがあります。
表現の自由」は、民主主義国家においては最も重いものの一つです。
警察という公的権力が介入するためには、それなりの理由が必要です。たとえば、明らかに法に違反している「証拠」とか、です。
「気に入らない」と通報するだけで警察が介入する世界は、私たちが望む世界でしょうか?
同じ矛先が、あなたやあなたの大事な人たちに向けられる可能性だってあるのです。
公的権力によりすべてを解決することには限界があると思います。
今回も、ただ「声かけ写真展を潰す」と言う流れではなく、今後「知らない大人から(性別問わず)声をかけられて写真を撮られる」ことがないような、そのようなリアルな社会活動として世の中に訴えていくほうが有意義ではありませんか?

その上で、自分の住んでいる地区で開催されたく無いと思われるなら、「行動」をしてください。ネットでいくら「意見を表明」しても、リアルな社会に届くには時間も労力もかかりすぎます。
ネットでの言葉は直ぐに反映されません。リアルでの皆々様の意識の方が反映されやすいです。ご家庭、地域住民、保護者、学校、PTAなどリアルな活動が大事です。
子どもが望まない写真を撮られる事を危惧するならば、お子さまとよく相談し合うことも良いと思います。
知らない大人についていかない、だけでは無く、知らない大人に写真撮っても良い?って聞かれても写真を撮らせたらダメだよ、など。


最後に。
主催者は言っておられた。
次はどこでやれるか?
前は東京でやった。 横浜では合同で出店したけれど、最終日に運営側から展示をやめるように言われた。
無審査の出店でもダメ。
何とか大阪で開催ができたけれど、次はどこでやれるだろう。
実は、いま大赤字なんですよ・・・。

そう、逆に言えば、正式に貸してくれる展示会やギャラリー、古民家などの家主様はもう何処も誰も居ないと言う事です。
何より、所轄の警察官が違法性がないか確認しに行くような写真展に、誰が正式に場所を貸すでしょうか?
いま、開催者は「大阪で開催完走やったー!」と喜んでおられる事でしょう。
おめでとうございます。
しかし、あれだけ熱意を持って開催した写真展で、何が残りましたか?
最後には、開催する事だけが目的となっていませんでしたか?
皆さんに向けられた、「誤解」や「いわれなき中傷」は、結局そのまま残ってしまいました。
今後継続するためには、これらネガティヴな印象の払しょくが必要だったはずです。
そのためには、「作品」と写真展の「メッセージ」が必要でした。
主催者のメッセージは熱く聞くことはできました。しかし、そこにある「作品」は、主催者のメッセージとは違うところにあるようにしか見えませんでした。
これでは、「写真展の内容できちんとメッセージを発信する」という、誤解を解くための最後のチャンスを失ったと思います。

「前は小学校に校庭開放と言うのがあって、誰でも学校に入れたんです。今は、受付で名前を書かないと中に入れないんですよね」とも言っていました。
私はトータルで6年ほどPTAをしていたので分かるのですが、校庭開放をしていたころに不審者が多かったこと、多かったこと。
その結果、今では近所の方々も運動会ですら、簡単には参加出来ません。
「自分たちは不審者じゃない」と仰られると思います。もちろんです。
でも、「声をかけて写真を撮る」等の行為で周りに不安を与えた方々も、確かにいたのです。
その結果、校庭開放は無くなりました。
その事実は、きちんと受け止めていただきたいと思います。

 

以上です。

f:id:hilowmy:20190722233950j:imagef:id:hilowmy:20190722234002j:image

f:id:hilowmy:20190724023701j:image

※全体の写真は、主催者や写真展に参加された方がTwitterに掲載しているので私は掲載しません。

※この画像は参考資料として置いてあった物です。

※主催者のホームページ/Twitter

「声かけ写真展」

https://www.koekakephoto.net/

https://twitter.com/KoekakePhoto

 

※7月28日(日) 追加

前のエントリーで開催場所に行き着くまでの顛末の文中にも書いていますが、入場料は千円です。

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/19/222405

 

※写真展にあった書籍等の参考URL

 

人工地獄現代アートと観客の政治学https://www.amazon.co.jp/dp/4845915758/ref=cm_sw_r_cp_api_i_IvSnDbBRK6AWY


少女が可愛く見える服(クライ・ムキのたった一日ソーイング)https://www.amazon.co.jp/dp/4308004497/ref=cm_sw_r_cp_api_i_iwSnDbH7S8K8M


実話BUNKAタブー2019年2月号https://www.amazon.co.jp/dp/B07JYQTL87/ref=cm_sw_r_cp_api_i_.kTnDbRWNJB4G

https://twitter.com/bunka_taboo/status/1074272841837600768?s=21

https://twitter.com/bunka_taboo/status/1151857739888414721?s=21


〈新装改訂版〉世界美少女図鑑 アジア編〈Ⅰ〉 タイ・黄金の三角地帯https://www.amazon.co.jp/dp/B07FQJVPM5/ref=cm_sw_r_cp_api_i_bmTnDbW8NHEFK


さっちん(フォト・ミュゼ)https://www.amazon.co.jp/dp/4106024055/ref=cm_sw_r_cp_api_i_UESnDbN7HX338

 

天才アラーキー伝説のデビュー作!1964年太陽賞受賞し、雑誌発表後ネガが紛失。写真集になることなく消えた幻の『オリジナル版 さっちん』が半世紀を経て甦る | 河出書房新社のプレスリリース

https://www.google.co.jp/amp/s/prtimes.jp/main/html/rd/amp/p/000000069.000012754.html

 

***

 

*声かけ写真展について疑問を持つべきとコメントをうけたので、念のため活動記録のURLを置いておきます。(追加日:2019/09/01)

私にはこれ以上の疑問に対する行動は無理です。

 

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/17/211524

声かけ写真展について相談に行った話(1)

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/17/214942

声かけ写真展について相談に行った話(2)

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/17/215336

声かけ写真展について相談に行った話(3)

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/17/220908

声かけ写真展について相談に行った後の私の考え

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/17/220908

声かけ写真展に行ってみた

http://hilowmy.hatenablog.com/entry/2019/07/19/222405

 

声かけ写真展に行ってみた

 

6月13日(木)に大阪府警本に2度目の相談へ行った後、6月19日(水)の午後に豊中東警察署から電話連絡があり、「写真展は中止になった」と伺いました。 話した時間は4分くらいでしたので、開催中止の理由までは聞けませんでした。

しかし開催者の執念を想像するに、開催中止となったからと言って簡単には諦めるはずは無いと思いました。

もし開催されるなら、自分の目で見てみたい。

あちらこちらから批判を受けるのは覚悟の上で、私はやはり見たいと思いました。
完全に私の好奇心です。

大阪府豊中市での開催は7月13日(土)〜18日(木)との事で、前夜祭と言うものが7月12日(金)午後8時からでした。
前夜祭に現地に行くと、豊中南警察署の警官の方が車に乗って、張込みをしておられました。

呑気に開催場所の写真を撮っていると職質をされましたが、身分を伝えると私に中止のお知らせを下さった警察官で、和やかに雑談を交わしました。
府警本部から見回りをするように言われたとの事でした。

開催予定地には、当日QRコードが記されたA4の紙が貼ってあり、読み込んだ先のサイトには中止宣言が書いてありました。
先の警察官と一緒にその張り紙を写メし、内容を確認して「あとは見ておくから(見回り)」とおっしゃって下さったので、私は前夜祭の日はそのまま帰宅しました。

私の関心と好奇心の熱は下がませんでしたので、開催日にまた大阪府豊中市の開催予定地まで、本当に中止するのか確認しに行きました。
昨日写真を撮った、現地に張り出されているQRコードのサイトをリロードするも、当日の午後1時時点では更新はありませんでした。
しかし、虫の知らせかリロードを繰り返していると、午後2時頃にサイトの更新がありました。


そうです。 

違う開催場所への誘導が示されたのです。  

 

別のアカウントで開催者にDMを送った際、「これば謎解きです」と言っていた理由がわかりました。住所は書いてはいませんでしたが、ルート内容から場所はすぐに分かりましたので、再び私は新たな現地に向かいました。そう言った意味では謎解きは割と簡単でした。なぜなら、開催場所が大阪府大阪市淀川区加島だったからです。

何と言う偶然か。
私が、一番最初に警察署へ相談に行った、あの淀川区です。
開催されたのであれば、しっかりとその写真展を見たいと思っていました。 その願いが叶いました。
主催者が常々言われていれた「自分で見てもいないのに、批判をするな」という言葉。
これには、私も同意します。
そこで、私も自分の目で見て、私の感性で確認しようと思っていたのです。
私は現地へと向かいました。


現地に到着し、入場料として千円のパンフレットを購入しました。1時間ほど写真展の会場に滞在し、じっくりと写真を見ました。
そして、開催者から写真の意図・テーマについて、じっくりと話を聞くこともできました。


曰く「防犯のため」、主催者は各所に防犯カメラを置いておられました。
ラフな普段着で会場に行った私は、入場料も払い一般客として写真展を見させていただきました。
主催者が語る、1つ1つの写真に対する強い思い入れをじっくりと聞き、写真を見ていきました。
現地では写真撮影が許可されていたので、いくつか写真も撮らせていただきました。
「あの頃は良かった」の延長で、銀塩写真のプリントの手法に拘られる主催者の意図や熱意はとてもよく理解できました。

しかし。
私は現在18歳の長女を産み育て社会人として送り出した母親でもあります。
その視点から言えば、主催者の方々の熱い「想い」を、どうしても素直に受け入れられない点がありました。
それについてはかなり長くなりますので、別のエントリーとしてまとめたいと思います。


最後に、パンフレットには、「警察による事実上の営業妨害が発生」と書かれており、それに続き主催者の主張が記されていました。


<引用>

あるTwitterユーザーのひとりは声かけ写真展に言及するアカウントに片っ端からメンションを飛ばすなどの行動で、反対派から一目置かれる存在となりました。
展公式サイトや器具田研サイトをプリントアウトし現地警察に相談、その旨をTogetterにまとめもしました。警察は写真展をを中止にさせる権限はありませんし、万一そんな動きが起これば警報21条違反です。

展運営は表現に関わる者として抵抗する責務がありす。

ですが、そが現実になってしまいました。

6月17日、豊中南署がボルタリング場に「事件性はないか調べている」旨連絡があったとし、会場は騒動になりました。警察から展運営には一切連絡がありません。間接的な表現弾圧です。

 

(略)

 

警察の言葉は直接届きません。会場からの伝達でした。これが事実か確かめるすべもありません。弾圧や不都合があるのなら、あたかもそれがないように振舞って見せつけてやれ、と言います。この冊子が印刷されたあと、展示はどう実行され、変容したのでしょうか。その抵抗もまた、力強い展の一部です」

<引用ここまで>

 

ここに書かれている「あるTwitterユーザー」とは、私の事だと思われます。

しかし、Togetterにまとまれていたのは7月19日(金)現在1つだけで、私が所轄警察でとった最初の行動だけでした。しかし、まとめの観覧者も少なく、まとめ主も私が知らない方です。
あくまでも私は私個人で動き、関心を持って事実を淡々とTwitterにながしているだけです。
所轄警察署に行った後、府警本部に二回行っていますが、この事は、まだ誰もまとめていません。 

曰く「反対派から一目置かれる存在」とパンフレットには書いてありますが、私は写真展に対する批判は一切行っていません。
むしろ、私の行動をあたかも自分の代弁者のように持ち上げる一群に対し、心底苛立ちを覚え腹立たしくなっております。
「勝手に一目を置いた方々」に対し、私は本当に怒りを感じていました。

参考までに、「送った内容」と「まとめ」を書いておきます。

※送った内容

※Togetterまとめ


警察に相談する事は、何ら悪いことはありません。 相談することにより、今できること、できないこと、現在の法律などちゃんと教えてくれました。
そして、写真展の前に将来的に女児に声をかけて望まぬ写真を撮られないためにはどうしたら良いかの話をしました。
主催者は、「警察の言葉は直接届きません」とパンフレットに書いてありました。私は、この意見が理解できません。
自分の正当な意見が妨害を受けているのであれば、住所氏名など身分を証明し、所轄警察署または府警本部に直接相談にいかれれば良かったのではありませんか?
あれほどの熱意があるのに、なぜやらなかったのでしょうか?
それこそ、見もせず妨害をしていると言う発言はそのままご自身の行動に繋がりせんか?
なぜ、相談せずに批判を無視をして(主催者曰く、不愉快なのでミュートをしているとのこと)活動したのか私にとっては不思議でしかありません。

なぜ、あなたたちは自分たちに対する「迫害行為」を警察に相談されなかったのですか?
相談すれば、現行の法律の範囲内でできることを丁寧に教えてくれたかもしれません。 何より、開催意図が理解されていれば警察が様子を見に来るという状況そのものが発生しなかったでしょう。

なお、今回直接現場に行ったので私の姿が撮影されております。
ご理解頂けず私の顔写真などがネットなどに晒された場合、担当弁護士および所轄警察署と府警本部と法的な処置について相談し、適切な処置を致しますので念のため書かせていただきます。

 

※追加

声かけ写真展に行って、観てきた感想のエントリーを置いておきます。(追加日:2019/07/26)

***

*声かけ写真展について疑問を持つべきとコメントをうけたので、念のため活動記録のURLを置いておきます。(追加日:2019/09/01)

私にはこれ以上の疑問に対する行動は無理です。

 

 

f:id:hilowmy:20190719192409j:image

f:id:hilowmy:20190719171724j:image


f:id:hilowmy:20190719171747j:image

 

声かけ写真展について相談に行った後の私の考え

2019年6月13日(木)2回目に府警本部に相談に行った後の自分の考えです。


表現の自由は、守られるべきと思います。でも、それは表現者がそれだけの覚悟と責任を負うということです。個人的には、私ではなく開催者が警察や区にあらかじめ相談した上で開催すればよかったのに、と思います。それなら、もっと普通に賛同を得られたのではないでしょうか。」


私自身は、自分が見たくないから排除する。自分が嫌悪するから排除すると言う考え方が好きではありません。


写真、映画、漫画に小説。

さまざまな展示会などがありますが、一般的にはちゃんと各所に連絡し、企画書などを出し、承諾を得て、公表する。そして、その通りに行うのが筋だと思います。


2016年の1回目のレンタルスペースを提供していた、世田谷ものづくり学校も、「レンタル内容に関する当施設の事前確認が不十分であったことから、主催者側へ展示を許可してしまった」とされておられましたが、本来ならそう言った声が一切出ないよう、しっかりと準備をしクレームを起こさない用にするのが開催者がとるべき表現者としての態度ではないでしょうか。


その後、また開催する動きがあり開催者は誹謗中傷を受けていると、自分の理論を展開されておられます。これは、都合の悪い声を無視しているだけと思います。
ここまでの声が上がれば、企業であれば到底無視などしていないレベルです。

個人だから許されるのか。
それは違うと思います。

 

誹謗中傷だと叫ぶ前に、皆さんの理解を得るためにどこに何をしたでしょうか? 少なくとも何か信用を回復するための行動があれば、一般の賛同者も出てきたのではないでしょうか。

最も疑問に思うのが、開催者が責任を放棄し撮影者にだけ責任を負わせるような態度です。開催者自身が覚悟と責任を明言する事が筋ではないでしょうか。
あれだけ東京で抗議があった展覧会を大阪府で開催すると聞いた時、何度も開催しようとする「信念」を感じました。 

一方で抗議の声が止まないことに不安を感じ、大阪府警本部に直接「相談」に行きました。

批判している方々にもお願いです。 本件について常に関心を抱いて考え続けて欲しいと思います。 世の中には、「正義は娯楽」という考え方もあります。

 

まるで一過性の正義の娯楽に浸り、叩くだけ叩いて満足したら無関心に戻るのでは、「娯楽だったのか」と思われても仕方がないと思います。 本当に子どもたちのことを心配されていると思いますので、見守る、声をかけるという「具体的な行動」をとっていただければと思います。 

ここでいう「具体的な行動」が、批判を受ける方々の人間性や人権に十分に尊重したものであることはもちろんです。

なお、開催地に関する情報は私が個人的に直接交渉し、提供していただいたものです。その方との約束もありますので、私は一切ネット上に公表しません。 悪しからずご了承ください。

 

※美術関係で個展を開いている方にお話を聞くと、「開催者が警察や区にあらかじめ相談」と言うわたしの文言については、「展覧会で区や警察に相談して開催する手続き」と言うと、アート界隈写真界隈では「?」となるかもしれないですね。「警察に許可」は風営法ならではで、あと公道でのデモンストレーションの場合とか。展覧会で警察に相談する事例は、あまり聞いたことはないですね。猥褻系(陰毛や性器)に引っかかる場合は警察に届けて開催するのかもしれませんが。とのお返事を頂きました。

 

Twitterに投下した当時のTweetを改変なく掲載しております。

 

声かけ写真展について相談に行ってきた(3)

2019年6月13日(木)大阪府警本部に二度目の相談へ行きました。
前回相談した時と同じように参考資料を印刷し、マーカーを引いて持参しました。
二回目の相談と言う事もあり、受付から担当の方に繋いでいただくまでスムーズに進みました。


前回とは別の方が対応して下さりました。 

今回は、相談に乗って下さった方の部署やお名前、電話番号をいただくことができました。

府警は、前の大阪開催展について、開催地区も中止になったも把握されていました。 

 

現在の活動内容はもとより、開催者のアダルト系のホームページや、過去の個人的な活動や発言についても、全部把握されているようです。 ツイッターフェイスブック等も色々と検索し、相当な内容を把握されているようでした。


今回新たに提出したWEBニュース記事についても既に把握されておられましたが、具体的な開催場所と日時は府警でも把握できておらず、情報提供に感謝の言葉をいただきました。 情報を入手した経緯についても説明しましたが、一切の違法行為は無いと言ってくださりました。

 

ただ現状の法律では、主催者側に法的な問題があると判断することは難しいとのことでした。 

主催者側も、開催が完全に黒ではないと分かっているからこそ、こう言った活動をしているのではないかとのことでした。
この件については、一般の方や教育関係者からも情報提供があるので、本部や他の所轄の関係各所及び、開催地の所轄警察署に情報提供もしますと言って下さりました。 

特に開催地の所轄警察署には開催時に声をかけ写真を撮る大人がいないか、見回りを徹底するするよう伝えると言ってくださりました。
もちろん、展覧会にも足を運び様子を見てくださるようです。 

ただ、明らかな脱法行為がない限り、そこで警察がそれ以上のことをするのは難しいともおっしゃっていました。

警察の方からは、次のようなヒントもいただきました。

それは「リアルな」プレッシャーが有効だ、ということです。 

ネットではいくら書き込んでも、それは「リアルな」プレッシャーにはならないそうです。 学校や家庭で子供に注意を促す、PTAや地域では見回りをする、不審な人がいたら声をかける等、そういったリアルな行動がプレッシャーとなり、子供が「望まない写真」を撮られることを防げるそうです。

長文になってしまいましたが、最後に警察に私の不安を相談して思った感想です。

きちんとあって相談すると、本当に丁寧にいろいろと説明してくださりました。 

警察内での動きや、地域の大人たちへのヒントなどをいただき、漠然とした不安が随分と落ち着きました。
ネットを見て生じた一時的な感情をそのままネットにぶつけても、何も解決しないのだなと、自省を込めて改めて思いました。

 

Twitterに投下した当時のTweetを改変なく掲載しております。

声かけ写真展について相談に行ってきた(2)

2019年5月30日(木)声かけ写真展について、大阪府警本部に相談に行きました。 該当HPを印刷して手渡したところ、府警側より大阪府条例違反の疑いが強いとのコメントをいただきました。 以下、詳細です。

初めての来庁なのに加え、生来の説明下手なので、とても緊張しました。 大阪府警本部の待合椅子が、淀川警察署と違ってとてもきれいだったことも原因かもしれません(失礼←)

緊張で口頭では説明できないと思い、予めHPを印刷し、マーカーを引いたものを参考資料として持参しました。 受付の方にその資料を渡すと、スムーズに担当の方に繋いでくださりました。 担当の方は(私が口ごもっていることもあり)、主に印刷された開催者のHPをみて、内容を判断されました。

府警の方によると、このHPに書かれている内容は大阪府平成24年(2014年)に制定した、「大阪府子どもを性犯罪から守る条例」の第七条、および第八条に抵触してている可能性が大いにあるとのことでした。


以下、引用します。


(啓発活動等)
第七条 府は、子どもに対する性犯罪を未然に防止し、その安全を確保することについて、府民の理解を深めるために必要な広報その他の啓発活動を推進するものとする。
2 府は、子どもを性犯罪から守るための教育を充実するよう努めるものとする。


(不安を与える行為の禁止)
第八条 何人も、親権者、未成年後見人、学校等の職員その他の者で現にその監督保護をするもの(以下「監督保護者」という。)が直ちに危害の発生を防止することができない状態にある十三歳未満の者に対し、挨拶、防犯に関する活動等の社会通念上正当な理由があると認められる場合を除き、次に掲げる行為をしてはならない。
一 甘言又は虚言を用いて惑わし、又は欺くような言動をすること。
二 義務のない行為を行うことを要求すること。

詳細は、こちらをご覧ください。
http://www.pref.osaka.lg.jp/houbun/reiki/reiki_honbun/k201RG00001583.html

引用はここまでです。

 

2019年5月23日(木)に淀川警察署に伺った際には、肖像権や声かけ事案であるというお話を伺っていました(先述)が、意外なことに「大阪府子どもを性犯罪から守る条例」に抵触する恐れがある、というコメントをいただきました。

 

この後、2019年5月31日(金)に、淀川区役所政策企画課にメールフォームにて相談しました。 返答をいただいたので、共有させていただきます。


以下、いただいたコメントです。
<引用開始>
平素は、大阪市政、淀川区政にご理解、ご協力を賜り、厚くお礼申しあげます。
いただきましたご意見の内容につきましては、本市の関係部署に伝達いたしました。
また、大阪府知事あてにお寄せいただいたものについては、大阪府へ伝達いたしましたことをご連絡いたします。
<引用ここまで>


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
私はこの件に関し、府・市の警察や、区の行政の立場を伺いたくて行動しました。 できるだけ客観的なコメントをいただくため、開催者のホームページを印刷し、読んでいただきました。
私からの説明は、ほとんどないと思っていただいて結構です(というか、性格上説明下手でできない)。

最後に一言。
もし、未成年に声をかけて写真を撮ろうとした「大阪府民」の方々。条例を意識していただけると幸いです。

 

Twitterに投下した当時のTweetを改変なく掲載しております。

声かけ写真展について相談に行った話(1)

2019年5月23日(木)、淀川警察署生活安全課防犯係に行き、そのあと淀川区役所防犯窓口に行ってきました。


警察署の案内所で、「児童に声をかけて写真を撮っている方々が居る」と先ず伝えました。担当の方が内線電話をかけ担当係に繋いでいたようです。「おたくどう言った関係の人?」と聞かれたので(身分確認)息子が通っていた小学校のPTAのOBで、いま通っている中学校を伝えました。OB関係で防犯の話を良くする中、インターネットでみた件について、此方に伺ったと伝えました。


4階、生活安全課に向かうよう促されエレベーターに乗りました。二人の警官がエレベーター前で待っていてくださりました。


「インターネットで声かけ写真展と言う企画をしていることを知り、淀川区民と言うこともあり此方にうかがいました」とご挨拶をし、インターネットのページを印刷したものを手渡しました。


警官二人はそれを読んでくださりました。いまはまだ、事件になる事はないとは思いますが、この写真展をきっかけにお子さまに声をかけて写真を撮る大人が増えたら怖いと思います。ここに書いてあるよう返金が無いと書いていますし、仮にクラウドファンディングでお金を集め、妨害と書いていますが開催が出来なかった場合、持ち逃げする詐欺だったとしても、自分の撮影した保護者の同意のない写真を趣味あるいは、見て欲しいと撮っているかもしれません。肖像権も含め私はそこは怖いのですと伝えました。


防犯メールでも色々と連絡が届きますし事実、学校でも知らない大人が写真を撮っていい?って言われたら大きな声を上げて逃げなさいって言う防犯のお手紙も届いています。


此方にも書いてあるように写真展の特性上、ギリギリまで場所、日時は伝えませんと告知していますので、淀川区でこの写真展が開催されるかは分かりません。

ただ、わたしが淀川区民なので先ず最初に淀川警察署に伺いました。来週には大阪府警察本部に同様の印刷物を持参してご相談をしようと思いますと伝えました。


ここまで、話したところで巡査部長も加わり5人で話を聞いてくださることになりました。


警察の方々は口々に「肖像権の前に、声かけ事案ですよ」と仰られました。


私からは「声かけ"事案"」と言う言葉は一切使っていません。警官方々から、言われました。仮に泣き寝入りがあったとしても、まだ「被害者」として「報告」「被害届」が無いので事件化は出来ないが注視してくださると仰ってくださりました。


その後に淀川区役所防犯係に行きました。淀川警察署で提出した印刷物と同様のものをお渡しし、淀川警察署にて先程相談をした所ですと伝えこちらの相談をしました。

 

此方の話丁寧に書き取りをしながら聞いてくださり、上司にこの件を共有し学校関係各所に連絡しますと行ってくださりした。

 

その後に、淀川区長のTwitterにて本日の事をかいつまんでコメントをしました。

 

もし、大阪府民の方々でご相談を検討されている方は先ずはお住いの警察署と、区役所へ。その後に大阪府警察本部へ「紙媒体で該当ホームページを印刷」してご相談される方が良いです。

 

Twitterに投稿した文章です。

実際には長いツリーでハッシュタグありで呟きました。

 

Twitterに投下した当時のTweetを改変なく掲載しております。

ただこのTweetに西暦が無かったので、そこだけは追記しました。

自然な**を使おう系のお客さまに思うこと。

2018-08-02:Twitterまとめ。

スピリチュアル系の**は危険、自然な**を使おう系のお客さま。たくさんいます。

 

そんなお客様に出会った時の私の荒んだ心の呟きのやとめ。

 

***

 

まあ、私はスピリチュアルはすごく有用と思う。凄まじいくらい。これくらい、自分が信じたいものだけを信じて、信じたくないものを否定するのに便利な「証拠」は、ない。問題は、他の第三者がまったく検証できないことくらい。

「他の第三者が検証できない」っていうのは、証拠として致命的でまったく存在価値を失うようなことなんだけど、その一番大事なことさえ目をつぶれは万能よ。

 

「他の第三者が検証できない」っていうのは、証拠として致命的でまったく存在価値を失うようなことなんだけど、その一番大事なことさえ目をつぶれは万能よね。

本当にスピリチュアルはすごく有用と思うよ。凄まじいくらい。

 

「量」の概念が無い人が多い。

 

なんだって、多過ぎりゃ毒。

水ですら、飲み過ぎたら脱水起こして死ぬ。

なら、水は毒か?


海外のこの手の人たちの動向がわからないんで、私の「仮説」なんだけど。日本だと「穢れ」と結びついているように思うんだよね。

 

 

ネットは怖くて楽しくて怖い。

車の運転は。
座学→教習所→仮免→路上教習→本試験→初心者マークっって感じで、だんだんに教育されていく。
保険もそれなりにあって、事故が起きた時に自分や他人を護る仕組みも、不十分ながら存在する。

今のネットはどうだろう。

乗り物に例えれば法律も操縦方法も知らないままジェット機に乗るようなものじゃい?
周りがきちんと教えなきゃ、そりゃあ事故る。

しかも、取り返しのつかない事故。
日々私は子供達の教官にならねば。
ただし常に自分が正しいと思うな。
・・・自戒。

2015/10/23

父性と母性

母の日に娘からプレゼントが届いた。
とても可愛い私の好みの服でした。
彼女が少ない小遣いから選び、わざわざ贈ってくれた。
とても嬉しく幸せを噛み締めた。

親と子について。
少し思う事を書いてみる。

母性の役割は出航と入港。
「いってらっしゃい。おかえりなさい。」

父性はさしずめ航海ではないだろうか。
「海を渡るには何が必要でこうしたらいい」

親と子において、現実提示は「親に対する幻想の打破」
子は親を唯一絶対神として捉えている。

自ら神の座を退く事が子離れ。
神が自分と同じ人だと識った時が親離れ。

最も専門家では無いので正しいかどうかはわかりませんが。
私のように一人親家庭だと母性、父性の使い分けに苦労する思います。
しかし私は幸運な事に人に恵まれている。
ありがたい事です。
それでも私は様々な事で悩む。
きっといくつになっても悩むだろう。
親は辞められない。

だからこそ「悩む事が出来る」のだ。
ありがたい。

よく聞く言葉。
「自分が死ぬ時は、周りの人間はみんな泣いていて、自分だけが笑う」
そんな人間、親になりたいね。

出稼ぎ労働者オカンは明日も顔晴ります!

2014年5月13日

ユニバーサルデザインっていう考え方

ぼんやりと、たまに心がささくれる。

ユニバーサルデザイン
あれは、障害者への配慮と言う意味じゃないと思うの。
本当に使い易ければ、障害があっても使いやすい、的な考え方。
それと「トレランス」許容とか、受容とか。

アメリカと日本の「平等」に対する考え方の差。
日本は結果に対する、平等。
アメリカはスタートに対する平等、だと思ってる。
日本は、支援の結果が平等でないといけない。
なので、みんな箱を一つづつ。
アメリカは、そもそも見えない事がアンフェアと考える。
だから、見えるようにする。

例えば「野球を見て、レポートを書く」という課題が出たことにする。
日本は「平等に」箱を一つづつ「支援」する。
こうすれば文句が出ないから。
一番小さい子は野球をしている所が見えない。
なので「君は課題を出さなくてもいい/違うことを書いてもいい」
これが配慮、とされる。

アメリカなら、箱を必要な数だけあたえて、全員が見えるようにする。
そして、全員に同じようにレポートを書かせて、同じように採点する。
野球を見る時の配慮はあっても、書いたレポートを採点するときの配慮はない。

もちろんこれは極端な例だけど。
イメージ、ね。

そして「許容」
日本だとすぐに「ずるい」「不平等」「迷惑」の声が出る。
どうでもいいことに対してまで。
「異なる」モノに対する「憎悪」がある、と感じる。
それが「人と違う」ように見える障害者に対する、一番の「居心地の悪さ」のように思う。

「健常も異常もない、みんな一つ」じゃなくて
「自分は異常者のことを(ある程度/よく)知っている健常者」ってところが、私の心のささくれの原因。うまく言えないけど。

まぁ、日本の物差しでアメリカを計らない方がいいと思う。
住んでいるだけじゃ、なかなか自分の物差しは変わらない。
もちろん、日本に居るよりは違うと思うけどね。
ただ、私はアメリカに住んだこと無いからイメージ、ね。

だいたい「健常と障害の区別なんて、つけられないよ」って話を「普通の人」にするのは、結構骨が折れる。
あと、異常と正常もね。
でも、そこをうまく書かないと「差別ガー」になるしねぇ。

うん、私はうまく書けません。
なので「ささくれ」ね。